体育科卒銀行員経由のアントレプレナーのreport

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世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

~経営における「アート」と「サイエンス」 山口周 ~

 

虚仮脅し(こけおどし)の教養を身につけましょうとか、そんな短絡的な内容でありません。

「美意識」を「懐の深い概念」と読み替えることができるくらい中身のある書籍だったと思います。

 

まず論理的戦略の限界という反論の出そうな書き出しをあえてしてみたいと思う。

正解のコモディティ化(代替可能性のある差別化しにくいもの)と分析麻痺の問題について聞いてほしい。経営において論理的分析は結局高い金を払えばいずれ答えが出るが、答えを待つ間はビジネスの停滞となってしまうし、自己実現的消費の登場によって単に論理的な戦略だけでは消費者のニーズに答えることができないという現実もある。

早くも反論がありそうだが、アート(美意識)>サイエンス(論理)と言っているわけでは決してない。現在の経営の軸足が論理に頼りすぎている節があるとの問題提起だ。

要するに冒頭の通りなのだが、本書は歴史上の例えを豊富に用いて説明を試みていて実に軽快であることからこの例えをできる限り拾い、「懐の深い概念」との認識の共有を図り、敢えて極端に言えば、このレポートを読み終えて「ふーん、美術館にでも行ってみようかなー」と思っていただくことをゴールとしたい。

ここからはほぼ、歴史上の例えになぞらえた説明の抜粋、要約が続ける。

ソニーの会社目的の第一条には「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」とある。平たく言えば「面白くて愉快なことをどんどんやっていく」ということだ。あのウォークマンを発表した際、既にソニーは世界的な大企業だったが、この開発に際して二人の創業経営者井深大盛田昭夫の「ねえ、これ見てよ」「おー、いーですね」で開発決定がなされている。

スティーブ・ジョブズがアップルに復帰した直後に手掛けたiMacでは、発売直後に5色のカラーを追加しているが、この意思決定は在庫シミュレーション等をすべて飛ばして、デザイナーから提案を受けた「その場」で即断している。

外交問題を白黒はっきりさせることができないことは多い。政治エリートを輩出する英国オックスフォード大学の看板学部は、権力者が学ばなければ危険であるという考えから哲学である。

・2016年クックパッド紛争は創業者が現社長に不信任を突きつけた争いで、創業者のご乱心という論調が多い。しかし本書に則り考察すると、創業者佐野氏は「豊かな食生活」に対する思い入れが強く、ごく普通の人にもお金をかけずに豊かな食生活をというミッションで創業したが、後継指名した穐田氏は経営効率を重視するタイプで、いわば「熱いロマン」よりも「冷たいソロバン」を優先する人物。上場企業であり、株主還元を考えた結果「食」以外への投資が目立つようになり、問題が勃発したという見方ができる。

・グーグルに大きな収益をもたらしているYouTubeについて、買収当時多額の買収費用を回収するだけのビジネスに育つか疑問視する声が評論家から多数上がった。彼らの指摘はごく真っ当であり論理的だ。しかしこれに対するグーグルのコメントは「弊社のミッションは世界の情報を整理することであり、言うまでもなく動画は情報である」というそっけないもので、論理的なコメントはなかった。

・ウォルトディズニーの創業者は次々に革新的なビジョンを打ち出す弟ウォルトと、元銀行員の兄ロイのコンビであり、ホンダの創業者本田宗一郎藤沢武夫の組み合わせも、スティーブ・ジョブズジョン・スカリーも、近年で言えばソフトバンク孫正義野村證券出身の北尾吉孝もそうだが、強烈なビジョンを掲げてアートで組織を牽引するトップを、サイエンスで強みを持つ側近が支えてきた成功組織構造がある。

・グローバル企業の幹部候補は今日から絵筆を取るべきなのかという話ではないが、20世紀において強烈なリーダーシップを発揮した二人の政治家、ウィストン・チャーチルアドルフ・ヒトラーはともに本格な絵描きだったことは偶然だろうか。ノーベル賞受賞者は一般人と比較して2.8倍も芸術的な趣味を保有しており、自ら芸術的な趣味を実践している人ほど、知的パフォーマンスが高いという統計データもある。

・かの織田信長豊臣秀吉は「侘び茶」の完成者である千利休を重んじ、クリエイティブディレクターとして位置づけ、彼の才能を自らが支配する社会に反映させ、影響力を高めようとした。秀吉は最終的には利休に切腹を命じる訳だが、その後朝鮮出兵をしたり、後継者一族を虐殺したり明らかにバランスを欠いた意思決定を連発している。

・美意識を「現場の空気」という言い方をした時、日本組織はその場の空気に流されて意思決定する傾向が強いと言われてきた。戦艦大和は活躍の場がないまま、最後は航空機の護衛もなく米軍に突撃し、あっけなく撃沈させられている。興味深いのは当時も航空機の護衛なく戦隊を突撃させることは作戦として形を成さないとされていたにも関わらず、このやけっぱちの突撃が当時日本で最高レベルの教育を受けていた人たちによってなされていたことだ。当時の軍令部次長の小沢中将は「全般の空気よりして、当時も今日も大和の特攻出撃は当然と思う」と述べている。日本企業が論理的な意思決定をしたがるのはこの敗戦の形に対する一種の過剰反応なのかもしれない。

・アップルのMacをもってスターバックスでパチパチ打っていれば「そのような人だ」ということで周りに規定される。アップルはもはやIT企業というよりも、ファッションの会社だと考えた方が良いかもしれない。販売戦略は「アップルを使っているあなた」なのだろうし、これをプロダクトだけに依存することなく本質的な強みはブランドに付随するストーリーと世界観というところまで差別化し、ライバルからのコピーを免れている。

DeNAコンプガチャ問題(ネットゲームで課金しないと希少アイテムを入手できないぼろ儲けの仕組み)、キュレーションの問題(著作権がクリアになっていない情報を無断転用することの横行)。なぜこういった新興ベンチャーは次々とこういった問題を起こすのか。これはまずグレーならOKと、そのビジネスモデルを開始

し、グレーが故に荒稼ぎできグレーからクロへとドリフトしていって、世間から叩かれて辞める、という流れがある。ここでポイントになるのが開始の判断=経済性であり、そこに美意識に代表される内部的な規範が全く機能していないという根っこから曲がっている点だ。

・ジョンソンエンドジョンソンの「我が信条」では、ステークホルダーを「患者や医師などの顧客」、「社員」、「地域社会」、「株主」と明確に優先順位をつけ、一般的には上場企業において最優先される株主を劣後させている。これも美意識の表明と言えよう。

・脳の前頭前野は美を感じる役割を担うことがわかってきており、瞑想により前頭前野の厚みが増すことがわかっている。いわゆるマインドフルネス(ただあるがままの自分の身体にどんな反応が起きているか、どんな感情が沸き上がっているかなどの、この瞬間に自分の内部に起きていることに深く注意を払うこと)によって高度な意思決定、あたかも絵画や音楽を美しいと感じるかのような意思決定能力の醸成という社員教育が、インテルフェイスブックリンクトインPG、フォード、マッキンゼー、ゴールドマンサックスなどの優良企業で人気となっている。

オウム真理教の幹部は平均偏差値70超だったという事実は、偏差値は高いが美意識は低いという今日の日本のエリートが抱えやすい闇をわかりやすく示している。オウムは極端なシステム志向で信者を階級分してひたすら上位階級を目指す形だったので、頑張れば頑張るだけ偏差値が上がり、より高い階層にいける受験と似ていた。実際の社会は運、不運、人間関係の中で渡り歩いていくものだから、それに適合できなかった彼らにはオウムは居心地がよかったのだろう。そしてオウムシスターズの舞のあまりの下手さ、記者会見の時に背後に移るマンダラのあまりの稚拙さ、サティアンの無造作感からもオウムには「美」がなかったがわかる。

三菱自動車リコール隠しは20年以上隠されていたわけだが、これは誠実さが非倫理的な組織の内部者にとって、自分が所属する組織のルールに従うことであり、自分の中のコンピテンシー(誠実性)に従うことができなかった事例だ。アイヒマンナチスドイツで何百万というユダヤ人虐殺のシステム構築を手動した人物であるが、逃亡後拿捕され最後まで「自分は命令に従っただけだ」という抗弁を繰り返した。悪とは無批判にシステムを受け入れることなのである。

・ここ数年でマツダのイメージは大きく変わった。魂動という統合的なデザインテーマを採用し、世界的にデザイン分野に特化した賞を多く受賞している。アストンマーチンジャガーといった高級車が受賞している中でアテンザが受賞したことは興味深い。これまで日本車も世界的な賞を受賞してきたが、それは性能、品質というテーマだったこと考えると興味深い。魂動において特に重視されたのが日本的美意識で、顧客に好まれるデザインではなく、顧客を魅了するデザインを目指すという、マツダ内部の主観的なモノサシによる上質な上から目線と言えよう。

・2001年、エール大学の研究グループはアートを見ることによって観察力が向上することを証明した。医大生に対してアートを用いた視覚トレーニングを実施したところ、皮膚科の傷病に関する診断能力が56%向上したことが報告された。AIが人間の能力を凌駕するシンギュラリティが医学でも言われることがあるが、ビックデータによる診断能力ということだけではあまりに狭義だと考えていて、それは医師には患者に対する相当総合的な観察眼が必要とされるからだ。

エジソン実験工房、という二つ言葉に共通することは何か。共通・・実験関係のことかな?など思いつくかもしれないが、5歳児に見せると意外と簡単に答えるという。どうしても大人は読んでしまいがちだが、答えは「エ」という同じ形のものがあるというものだ。

・街に屯してマリファナを吸いながら世界平和を訴えたヒッピーたちや、日米安保反対を叫びながら機動隊に火炎瓶を投げつけた学生も、かつて何万人という人が世界を変えると叫んでシステムの外側から改革活動に身を投じてきた。しかし結果はどうかというと、そのほとんどが活動の虚しさに気づき、やがてはネクタイを締め、就職面接を受け、いわばシステムに絡め取られていった。今日のエリートには、システムの内部において、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わず、システムの不具合に対しての発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想社会の実現に向けてシステム開発を試みることである。

・詩、文学に触れメタファー(比喩)の引き出しを増やすことは、かつて東西が引き裂かれる様を「鉄のカーテン」と表現したウィストン・チャーチル、再生計画を「ルネッサンス」と名付けたカルロス・ゴーン、「1000万ボルト」と表現したアリスの堀内孝雄などなど、人の心を動かす表現にはメタファーが含まれている。彼は「リア王」だと言えば、老いて判断力が鈍った状態なのかなとなんとなく想像できるし、「彼はエンジンは強力だがブレーキは壊れている」と言えば察しがつく。

・80歳の億万長者でステレオコンポ会社CEOであるハーマンはMBA取得者を雇うことに値打ちを感じず、その代わりにこう言った。「詩人をマネジャーにしなさい。彼らは独特の思考で、観察し、意味を読み取る義務を感じている、そしてそれをわかりやすい言葉で表現してくれる。」

 

いかがでしたでしょうか。

単に身だしなみを整えるとか、人は第一印象が大切とかのレベルのものではないことが伝わったのであれば幸いです。美意識という言葉もある意味、著者のメタファーであり、懐の深い概念すなわち、経営理念なのではないかとも思います。

しかし、中には地域の中小企業がどれほど美意識を発揮しても現実はそれほど甘くないのだ、と感じられる社長もおられるかもしれません。でもそれを言ったら私も同じです。「しょせん保険屋が」と片づけられることも多々あります。どんな状況においても忌避してはならないテーマが凝縮された書籍だったのではないかと思っております。書籍の後半の一節ですが、こんなふうに美意識を磨くことを不断とするのはいかがでしょうか。

 

俺たちみんなドブの中を這っている。しかし、そこから星を見上げている奴だっているんだ。

オスカー・ワイルド