先日、元400mハードル日本記録保持者であり、現在は東京大学先端科学技術研究センター(通称・先端研)の教授を務める為末大氏の講演を聞く機会がありました。私自身、為末氏の講演を聞くのは4、5年ぶりで2回目となります。一部に重複する内容もありましたが、相変わらず話に引き込まれ、深い気づきに満ちた面白い内容でしたので、ここにそのエッセンスをご紹介します。
彼が身を置く先端研は、いわば「異端の集まり」と称される場所です。そこには、常識にとらわれない尖った才能の持ち主たちが集まっています。たとえば、鳥の鳴き声を理解するために、ほぼ1年中を山にこもって研究しているような、純粋で強烈な探求心を持った研究者もいるそうです。
そんな刺激的な環境にいる為末氏が、講演の冒頭で問いかけたのが**「限界とは何か」**というテーマでした。
1. 能力の限界より先に訪れる「認識の限界」
例えばサッカーの世界では、「ペレと現代の選手、どちらが本当にすごいのか」という議論がよく起こります。技術や戦術が進化した今の選手の方が上だという意見もあれば、いや、時代背景が違うからやってみないと分からないという反論もあり、答えは出ません。しかし、陸上競技は違います。そこにあるのは、タイムという冷徹で絶対的な数字だけです。
為末氏自身、23歳の時に400mハードルで47秒89という日本記録を打ち立てましたが、43歳で引退するまで、その記録を自ら更新することはできませんでした。一方で、100mの桐生祥秀選手は、18歳の時に出した記録を27歳で見事に塗り替えています。同じアスリートでありながら、この差はどこから生まれるのか。限界とは、一体どこにあるのでしょうか。
ここで為末氏は、歴史的なエピソードである**「1マイル4分の壁」**を引用しました。
かつて、1マイル(約1609m)を4分未満で走ることは「人類には不可能」と信じられていました。最初の1、2年は「来年こそは誰かが破るだろう」と期待されていたものの、不可能な期間が10年も続くと、ついには医師や科学者までもが「人間の肺の構造上、4分を切ることは無理だ」と医学的な説明をつけるようになっていたのです。
ところが1954年、ロジャー・バニスターが初めて4分の壁を突破します。すると、極めて興味深い現象が起こりました。
バニスターが打ち立てた世界記録は、わずか42日後に別の選手によって破られたのです。さらにその後、数年のうちに10人以上のランナーが次々と4分を突破していきました。
人間の身体構造が急に進化したわけではありません。変わったのは、**「誰かが達成したことで、人々の頭の中(認識)が書き換わった」**ということです。
「あの人にできたなら、俺にもできるかもしれない」
この「良い意味での思い込み」が、人間のポテンシャルを一気に解放するのです。
これは日本人のメジャーリーグ(MLB)挑戦の歴史にも重なります。野茂英雄選手が海を渡った当時、現役の日本人メジャーリーガーはゼロでした。しかし、野茂選手が道を切り拓いたことで、後にイチロー選手が現れ、今では大谷翔平選手が前人未到の活躍を見せています。進化論の観点で言えば、ここ数十年の間で日本人の身体的ポテンシャルが急激に変異したわけではありません。変わったのは、「日本人でもメジャーの第一線で活躍できる」という認識そのものです。
先日もある高校生が100mで10秒00という驚異的な記録を出しました。彼は「高校生のうちに9秒台を出したい」と語っていたそうです。ひと昔前なら「高校生が9秒台なんて」と笑われていたかもしれません。しかし今の時代、それは現実的な目標として捉えられています。
人は、本当の能力の限界に達するより前に、自分自身の「認識の限界」によって自らにブレーキをかけてしまっているのかもしれない。為末氏の言葉は、そのことを強く気づかせてくれました。
2. 挫折から学んだ「ポジショニング」と「選択と集中」
続いて、話は為末氏自身の幼少期から学生時代へと移ります。
小学生の頃の彼は、球技全般が苦手だった一方で、とにかく足だけはとてつもなく速かったそうです。そのため、野球の試合の時だけ助っ人として呼ばれていました。
大事な場面でランナーが一塁に出ると、「代走・為末!」の声がかかります。野球のルールをよく分かっていない彼は、なぜか一塁ベース上で陸上のクラウチングスタートの構えをとります。そして、ピッチャーのモーションに合わせて「用意、ドン!」で二盗に成功。続く二塁でも再びクラウチングスタートから「用意、ドン!」で三盗を決めます。ホームスチールのやり方は流石に分からないため、コーチャーに「ゴー!」と言われた瞬間にホームへと突っ込んで得点をもぎ取る。この極端なスピード戦略を多投し、チームは地域ベスト8まで進出したそうです。しかし翌年、あまりの理不尽さに「一人1試合1盗塁まで」というローカルルールが作られ、彼の野球人生はあえなく幕を閉じました。大人たちからも「彼は野球ではなく、陸上の世界に行くべきだ」と勧められ、本格的に陸上の道へと進むことになります。
また、その頃から読書も大好きでした。毎週水曜日には読書部として図書館に通い、本を読んでは感想文を書く日々を送っていたそうです。「身体を使うこと」と「言葉(論理)を使うこと」。今思えば、現在の「身体に関する本を読み、論文を執筆する」という彼の活動の土台は、すでに小学生の時に形成されていたと言えます。
しかし、高校時代の競技生活は決して順風満帆ではありませんでした。
中学時代には100mで歴代中学記録を塗り替え、天才と騒がれた彼でしたが、高校に入ると周囲の成長や自身の身体的な早熟さもあり、2番手以降との差がどんどん縮まっていきます。そして高校3年の時、ついに一つ下のライバルに敗北を喫し、それ以降、どうしても勝てなくなってしまいました。
一度スポットライトの中心に立った人間は、そこから外される瞬間の痛みに誰よりも敏感になります。絶望の淵に立たされた彼は、ここで「400mハードル」という種目に目をつけます。91cmのハードルを、360m全力で走った後に飛び越える。あまりの過酷さに、普通の選手なら途中で転んでしまうような競技です。
しかし彼は同時に、**「これなら身体能力(純粋なスピード)だけでなく、+αの戦略や技術で勝負できるのではないか」**と考えました。100mのような華やかな花形種目ではなくても、自分独自の勝ち筋がある。そう判断し、自分が最も勝負できる場所へ「ポジショニング」を大きく転換したのです。これが、ハードラー為末大の誕生の瞬間でした。
自身の著書『諦める力』でも触れていますが、日本の教育は往々にして「すべての教科をまんべんなく頑張れ」と言いがちです。しかし、限られたリソースの中で成果を出すために本当に重要なのは、「何をやらないか(何を諦めるか)」を決めることではないでしょうか。
為末氏はここで、歴史上の大失敗である「インパール作戦」を例に挙げました。食糧が「100」しかないのに、進軍には「120」が必要な作戦。足りない「20」は現地調達せよという無茶な命令で突っ込み、結果は破滅でした。
実は、これと似たようなことがスポーツの現場でも日常的に起こっています。「あれもやれ、これもやれ」と詰め込み、1日6時間もの猛練習を課しても、選手の身体は自然とエネルギーをセーブするためにペース配分をしてしまい、結果として練習の質が落ちてしまいます。だからこそ、何かを捨て、残した戦略にリソースを注ぎ込む「選択と集中」が必要不可欠なのです。
3. シドニーの転倒、そして「熟達」の境地へ
独自のポジショニングで世界の舞台へと駆け上がった為末氏ですが、最大の試練が訪れます。それがシドニーオリンピックでした。
スタート前、極限の緊張から、靴紐を結ぼうとする手が震えていました。号砲が鳴り、1台目のハードルを飛び越えた瞬間、脳裏に「何かが違う」という違和感が走ります。その3.6秒後、2台目を飛んだ時にもやはりズレがある。その爪先ほどのわずかな違和感が、ハードルを越えるたびに複利のように積み重なっていきました。
そして、運命の9台目。
「右足で踏み切るか、それとも左足で行くか──」
一瞬の迷いが生じたその刹那、彼は人生で最初で最後となる、レース中でのハードル転倒を喫しました。4年に1度という大舞台が、わずか60秒足らずで終わりを告げたのです。
「これはあまりにも割に合わない」
絶望した彼は、それから練習に一切行かなくなってしまいました。そんな引きこもり生活の中、先輩から「お前、自分が世界で一番不幸だと思ってるだろ」と手渡されたのが、ナチスの強制収容所(アウシュビッツ)を生き延びた精神科医、ヴィクトール・フランクルの名著『夜と霧』でした。
収容された人の90%が命を落とすという極限状態の中で、生き延びた人たちには共通する特徴があったといいます。それは**「内面に独自の美意識(=志)を持っていた」**ということでした。ここで言う美意識とは、美術的な美しさのことではなく、「自分自身の内側にある確固たる志や、人間としての軸」のことです。
ただ「世界一になりたい」という外発的な気持ちだけでは、過酷な現実を前にした時に折れてしまう。アスリートとしての一貫性や、パッチワークのようにつぎはぎされた目標設定では、本当の危機を乗り越えられない。何があってもぶれない「自分の軸」が必要なのだと、彼は気づかされたのです。
その後、彼は活動の主戦場を海外へと移します。あえて海外を選んだ理由は、「いつも自分の実力を発揮できる恵まれた環境にいてはダメだ」と考えたからでした。海外のレースでは、強風が吹き荒れることもあれば、日本では考えられない想定外のトラブルも日常茶飯事です。そうした劣悪な環境の中でも、常に安定して高いパフォーマンスを発揮できるようになって初めて、本当の「熟達」と言えます。
人間という生き物は、常に心身が揺らいでいる存在です。この揺らぎを抱えたままで一定のパフォーマンスを出し続けるのは、非常に高度な技術です。
例えば、ライフルの射撃の名手は、**「自分の心拍と心拍の隙間」**を捉えて引き金を引くといいます。また、一流の野球のピッチャーほどボールを離す「リリースポイント」の軌道が一定ですが、メジャークラスの超一流になると、逆にリリースポイントがわずかにぶれる(ゆらぐ)そうです。これは、その時々の身体の微妙な揺らぎを瞬時に察知し、指先で最後の微調整をかけているからに他なりません。カチカチに固まるのではなく、揺らぎを受け入れながらコントロールする。これこそが熟達の極みです。
近年、スポーツ科学の発達によって効率的な練習や質の向上が叫ばれていますが、基本動作、いわゆる「型」の習得には、言語の習得と同じように一定量の「絶対的な反復練習」が不可欠です。サッカー選手が足元のボールを見ながらドリブルをしていては、世界の舞台では話になりません。サッカー強国であるスペインでも、幼少期にはこの「型」を徹底的に叩き込まれるそうです。
そして熟達者は、この型を徹底的に繰り返した先にある**「型を超える世界」**へと到達します。その時、最も重要になるのが「脱力(いかに力を抜くか)」だと口をそろえます。これはスポーツの世界だけに限らず、囲碁の棋士であっても、企業の経営者であっても、あらゆる分野の「極めた人たち」が全く同じ回答に行き着くそうです。
4. 「やりたくなる」を引き出す:卒啄の機と孔子の教え
講演の終盤、話は次世代の育成へと及びました。為末氏が現在、後進の指導にあたる中で最も意識しているのが**「卒啄の機(そったくのき)」**という言葉です。
雛鳥が卵からかえる時、親鳥はある程度は外側から殻をつついて(啄)手助けをしますが、最終的には雛鳥自身が内側から殻を破って(卒)出てこなければなりません。周囲からの客観的なフィードバックやサポートは必要ですが、最後に「変わりたい」「やりたい」と決意するのは、本人の内発的な動機でなければならないのです。
為末氏はこれを、身近なビジネスの例えとしても話してくれました。スポーツのスポンサーを募る際、単に資金を出してもらうだけでなく、実際の企画や運営のプロセスにも巻き込んで「自分事(じぶんごと)」にしてもらうと、スポンサーの継続率が劇的に上がるそうです。外から応援するだけでなく、内側から一緒に殻を破る当事者になってもらう。これも一種の「卒啄の機」の応用と言えます。
そして最後に、為末氏は孔子の有名な言葉を紹介して講演を締めくくりました。
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
(ある物事を知っている人は、それを好きな人には敵わない。それを好きな人は、それを楽しんでいる人には敵わない。)
知識がある人より、それが好きな人が強い。そして、ただ好きな人よりも、そのプロセス自体を**「心から楽しんでいる人」**が一番強い。
スポーツの現場においても、現代の職場においても、誰かに「やらされる」のではなく、内側から「自分でやりたくなる」状態をいかに作り出すか。それこそが、限界を突破し、熟達の先へと進むための最大にして唯一の鍵なのだと教えられた、非常に濃密な時間でした。
※このレポートは実際の講演のメモをとり、AIも活用して校正しています







