体育科卒銀行員経由のアントレプレナーのreport

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武田双雲 〜道の歩き方〜

私はこの方の書が大好きで、真似事のように筆を執ってお礼状等を書いたりしています。
この春、北海道で武田双雲さんの講演があったので聴きに行ってきました。タイトルは「道の歩き方」です。
何かの参考になれば幸いです。

彼は実はバリバリの理系で、東京理科大卒、NTT入社という経歴を持つ。そして意外にも185㎝と長身だ。
したためられる作品のほぼ全てが「一発勝負」とのこと。ニの矢、三の矢があると思っていては良い作品はできないという流儀からだそうだ。
会社等によく掛けられている「書」は一般的な書道とは違い芸術作品と言え、ここに「技術」という観点を介在させて考えた時、その差は何なのか?
それは「気、波動」だ。
行雲流水・・・深く物事を考えず、自然の成り行きに任せて行動することの例え。
上善如水・・・水のように万物に利益を与えながら、自らを低い位置に置く。そしてそれが最良の善。とした考え方。
例えば千利休、単なるお茶のみに茶軸という掛け軸を設け、わざわざ茶碗を3回回して眺めてからいただくというような世界のことだ。
何のことか!??

日常生活において、我々は芸術家ではないにせよ、この事を解釈し体現し、それぞれのパフォーマンス(仕事)にいかにつなげていくか、ここが大切だとお話されているのだと私は解釈して聴いていた。

ある仕事で、福山雅治さんのCDジャケットに書をしたためる仕事を依頼された際、ご本人に挨拶をしにいった時の話。
かわいらしい女性スタッフが松葉づえをついて歩いているのを見た時に、
いかにもスケベそうなおじさんスタッフが
おじさんスタッフ:「足どうしたの?」
かわいいスタッフ:「ベッドに足ぶつけて小指折れてるんですよー。」
おじさんスタッフ:「エッチなことでもしてたんじゃないのー?」
かわいいスタッフ:「・・・。(にがにがしい雰囲気)」
というやり取りがあった直後、福山さんがレコーディングから出てきて、そのかわいらしい女性スタッフにこう言ったそうだ。

福山さん:「足どうしたの?」
かわいいスタッフ:「ベッドに足ぶつけて小指折れてるんですよー。」
福山さん:「エッチなことでもしてたんじゃないのー?」
かわいいスタッフ:「えー、そんな訳ないじゃないですかー。(嬉、笑、照)」
つまり何を言うかではなく、「誰が言うか」なのだ。
そして単に福山さんがイケメンだから、というだけでなく彼の放つ+のオーラみたいなものも少なからず影響しているのでないだろうか。では次のエピソードも見てみよう。

またある時、タクシー運転手さん100人にインタビューをする仕事をしていた時の話。
ある運転手さんは愚痴ばかりで
「景気悪いし、マナー悪い客ばっかで最悪だよ。」
こんなお答え。
しかしある運転手さんは、その車に乗った瞬間、クッションの座り心地の良さに思わず
「座り心地いいですね!」
と言うと、クッションにこだわっていて、最高のクッションにカスタムしているとのこと。
そして乗った瞬間いい感じのジャズが流れたので、
「いい音楽ですね!」
と言うと、ジャズ、クラシック、ボップスを用意しておいて、乗るお客さんの雰囲気でスイッチを入れ替えるのだという。
同じように仕事について質問すると
「やー、いいお客さんばっかりで、いいお客さんにしか巡り会わないんですよ」
とのお答え。

物事の捉え方で、出会いや運命、パフォーマンスも変わるということだ。
例えば「雨」というと嫌なイメージになりがちで、そう思い込んでいると本当に何だか具合が悪くなったりする人もいるだろう。
つまり、日常からいかに自分を「良い」状態に保っておくかが大切で、これによってパフォーマンスは変わるのだと繰り返し主張していた。すなわちこれが「気、波動」なのだ。
彼は自分の「良い気、良い波動」が流れているかどうか、一つのチェック方法を持っているという。
それは、
「妻がね」
と他人に妻の事を話す時の自分の波動をチェックすることだ。
悪い感じで、「妻がねぇ」 → 悪い波動、良い気が充満しない。
良い感じで、「妻がねぇ!」→ 良い波動、良い気が充満する。

「何となくいい感じの人」というのはたまにいる。それは何なのか、それを理論的に「波動」、「気」ととらえて、常に自分を最高の状態に保つことを心がけている。これによって良い作品が書ける!まさに理系な話だった。
「妻がねぇ!!」
ご自身でチェックしてみてはいかがでしょうか。