体育科卒銀行員経由のアントレプレナーのreport

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君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

  • 作者:吉野源三郎
  • 発売日: 2017/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
君たちはどう生きるか


私にはこの春高校1年生、中学1生になる娘がいます。

最近はコンビニでも見かける程のベストセラー。「君たちはどう生きるか。」自分の子どもにどう伝えるか。

物語は小学生が登場人物のシンプルな内容です。主人公コペル君と、わけあって「アブラアゲ」とあだ名をつけられ馬鹿にされている友達の浦川君、浦川君をいじめている山口、そしてその山口に立ち向かった友達のガッチン(北見君)。主要な人物はこれくらいです。ガッチンは小学生にありがちな陰湿ないじめに立ち向かい、皆の前で「卑怯だぞ山口!」と勇敢にも山口を突き飛ばします。

しかし、皆の前で恥をかかされた山口は、同じ学校の自分の兄(怪力自慢)に復讐を依頼。これにおびえながらも屈してなるものかと力を合わせて立ち向かうことを誓い合う、ガッチン、コペル君、浦川君。

そしてこの一部始終の相談役となる元編集者であるコペル君のおじさん。

しかし、ナポレオンのごとく士気を高めてとうとう来た決戦の時、コペル君は山口の兄に恐れをなし、約束を破って一人だけ逃げ出してしまいます。さらにそのまま学校にもいけなくなってしまって・・・

この物語の中に少年の葛藤があるわけですが、その都度おじさんからコペル君へ手紙がしたためられ、それを将来コペル君は読むことになります。

親、先生、上司が「正しいこと」や「こうあるべきだ」ということを子どもや社員に説いても、ともすると

「はいはい始まった」という白けた雰囲気になることがあるのではないでしょうか。もしくはそういた崇高な話をしても聞く耳を持ってもらえる関係にない場合もあります。自分と娘の関係性においてドキリとしますが・・・。

「卑怯だぞ山口!」

勇敢に山口に立ち向かったガッチンのことを、コペル君はおじさんに報告するのですが、おじさんは手紙に以下のようにしたためます。この内容に納得感、ちょっとした感動を覚えました。

・・君が卑劣なことや、下等なことや、ひねくれたことを憎んで、男らしい真っ直ぐな精神を尊敬しているのを見ていると、なんといったらいいか、ホッと安心したような気持ちになるんだ。

君も、もうそろそろ、世の中や人間の一生について、ときどき本気になって考えるようになった。こういうことについては立派な考えを持たずに、立派な人間になることはできないのだから。そうはいっても、「世の中とはこういうものだ。その中に人間が生きているということには、こういう意味があるのだ」などと一口に君に説明することは誰にだってできやしない。それは、君がだんだん大人になってゆくにしたがって、いや、大人になってからもまだまだ勉強して、自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ。こういうことが人生にはたくさんある。だから肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰り返すことのないただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。それが、君の思想というものだ。

もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられた通りに生きてゆこうとするならば、コペル君、いいか、それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間にはなれないんだ。子どものうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあダメなんだ。肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるのか、それを本当に君の魂で知ることだ。

世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、随分ある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う。

だから、コペル君、繰り返して言うけれど、君自身が心から感じたことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。それを忘れないようにして、その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。・・