体育科卒銀行員経由のアントレプレナーのreport

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娘が助産師を目指しています

看護師が流した涙

看護師が流した涙

仕事の意義とは社会貢献、そう言えるようになりたいと、毎日自分の足りないところを満足させるよう頑張る毎日です。

社会貢献をすることで対価として報酬をいただく。これを忘れて利益追求に走りすぎると、何かを見失ってしまうのではないかと言われています。

生命保険営業も同じで、お客さんの死亡時、疾病時に保険金をお届けすることで精神的なダメージを経済的な補填によって穴埋めして差し上げる、これが至上命なのであって、このことを忘れた瞬間、ただの営業マンになってしまうのではないかと思います。

私の娘がいつからか助産師を目指すようになりました。

命の誕生に携わることができる素敵な仕事だと思います。しかし、現場ではいつもハッピーなことばかりではありません。

ふと、命について考えると同時に、まさに社会貢献に直結する仕事として産婦人科医、助産師といったお仕事は尊いと思います。

私も胸を張って、社会貢献していると言えるように常に仕事に対して襟を正していきたいものです。

以下、書籍の要約です。看護師が流した涙 
 ~岡田久美~  生死を賭けた出産

産婦人科と聞くと、産まれたばかり赤ちゃんを抱いて微笑む幸せそうな夫婦を思い浮かべる人が多いかもしれないが、実際はそうでないこともある。

37歳で初産のAさん。当時35歳以上の初産妊婦をマルコー(高の字を〇で囲む)と隠語で呼んでいた。高齢になると産道が硬くなり、出産がリスクとなる。また卵子の鮮度も落ちる為、遺伝子疾患のリスクも10倍と高まる。従って出産にリスクが伴う妊婦、マルコーとしてスタッフに共有させるわけだ。

Aさんも臨月になり最後の健診を終え、次に来院する時は分娩室に入るという頃だった。数日後ご主人の車で来院し、そのまま分娩室に入った。分娩が外来時間と重なる場合、外来診察をストップすることになるのだが、その日のAさんの分娩はやたらと時間がかかっていた。なかなか再開しないので待合室もざわざわし始める。患者さんに事情を説明し、日程に余裕のある人には後日に変更してもらったりするのがスタッフの役割だが、それを終えてもまだ院長が降りてこない。不審顔の主任が私に見てくるように言った時だった。病棟から外来に内線。「ひとり、ヘルプに上がってきて!できれば病棟経験者!」

私は急いで分娩室へ向かった。分娩室の扉を開けた途端、吐き気がするほどの異臭に足が止まった。さびたような鉄のにおい、血のにおいだ。心拍数低下を告げる心電図のアラームが激しく鳴っている。「これお願い」と輸血用バックを渡され、点滴台につるし全開で輸血する。「先生、出血はとまりつつあります!量2000弱!」「血圧40切りました!」何が何だかわからないうちに400ミリリットルの輸血バックは空に。助産師がAさんに馬乗りになって心臓マッサージをしている。「除細動、どいて!」院長の怒号で皆がサッと分娩台から離れる。電極がAさんの胸に押し当てられ、彼女の身体がビクンッと1度大きく跳ねた。周囲にはたんぱく質の焦げた独特のにおい。「チャージ!次400!」院長の血まみれの手から電極を受け取った看護師が除細動機を充電する。その間にも心臓マッサージが行われ、チャージが完了すると「どいて!」またAさんが大きく跳ねた。下腹部の上に重ねられた氷枕はすでに血まみれで、分娩台の下にも血液が溜まっている。

誰かがため息をついた。

心臓マッサージをしていた看護師の手が止まると、心電図がフラットになっているのが見えた。私はそっとAさんの彼女の右手首を握った。冷たいがまだ柔らかく、握り返してきそうな手だ。

いくつかのため息の後、院長が大きなため息をつき、ペンライトを受け取る。手袋を外した看護師が上まぶたを引き上げると、「20時28分。死亡確認。」

院長が鼻をすすり、血まみれの手袋を脱ぎ、ゴミ箱に捨てると分娩室を出て行った。

「あなたはもういいから、外来に戻って」

外来に戻ると主任から「分娩、終わった?」と聞かれ、あいまいな返事をしていると主任はすべてを悟り、「そっか…残念だったね。」

そして他の看護師に「あと15分くらいしたら外来再開するよ!」「院長降りてくるんですか?」「ご遺族に説明した後にね、患者さんを待たせてるんだもん。産婦死亡でも中止にはできないでしょ。」

主任の言葉通り、30分もしないうちに院長は降りてきて外来が再開された。産婦が助からなかったことも、院長も泣いていたことも、患者さん、スタッフに微塵も感じさせずに。

後で聞いたがAさんは弛緩出血を起こしていたそうだ。子宮が元の大きさに戻らず、子宮内膜の壁面から出血が止まらなかったのだ。Aさんは出血に加え、分娩中に発生した不整脈から一気に心肺停止にまで至ったのだ。

退院の日、忘れ形見の赤ちゃんを抱いて、外来で「あいつの分まで立派に育てます。」と頭を下げたご主人。またそれを見送る院長が印象的だった。

数か月後、現場で居合わせた看護師から聞いた。「院長先生ね、患者さんが亡くなった日は、外来が終わってからひとりで泣くのよ。病棟スタッフはみんな知ってることだけどね。」

「私たち産婦人科は、人の命を扱うところよ。幸せいっぱいの笑顔で分娩台に乗った人が物言わぬ死体になるのを見るのは、いつまで経っても慣れない
わ。でも私は産婦人科にいる限り、このつらさに慣れてはいけないと思っているの。人の命の重みをしっかり受け止めなければいけないのよ。」まっすぐ私の目を見て先輩は私に言った。